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 真宗大谷派宗憲 前文 

 宗祖親鸞聖人は、顕浄土真実教行証文類を撰述して、真実の教たる佛説無量寿経により、阿弥陀如来の本願名号を行信する願生浄土の道が、人類平等の救いを全うする普遍の大道であることを開顕された。
 宗祖聖人の滅後、遺弟あい図って大谷の祖廟を建立して聖人の影像を安置し、ここにあい集うて今現在説法したもう聖人に対面して聞法求道に励んだ。これが本願寺の濫觴であり、ここに集うた人びとが、やがて聞法者の交わりを生み出していった。これがわが宗門の原形である。
 したがって、この宗門は、本願寺を真宗本廟と敬仰する聞法者の歓喜と謝念とによって伝承護持されてきたのであり、宗祖聖人の血統を継ぐ本願寺歴代は、聖人の門弟の負託に応えて本廟留守の重任に当られた。中興蓮如上人もまた、自ら大谷本願寺御影堂留守職として、専ら御同朋御同行の交わりの中において立教開宗の本義を闡明して、真宗再興を成し遂げられたのである。
 爾来、宗門は長い歴史を通して幾多の変遷を重ねるうちには、その本義が見失われる危機を経てきたが、わが宗門の至純なる伝統は、教法の象徴たる宗祖聖人の真影を帰依処として教法を聞信し、教法に生きる同朋の力によって保持されてきたのである。
 このような永遠普遍の教法と宗門固有の伝統に立ち、宗門運営の根幹として次のことを確認する。
第一に、すべて宗門に属する者は、常に自信教人信の誠を尽くし、同朋社会の顕現に努める。
第二に、宗祖聖人の真影を安置する真宗本廟は、宗門に属するすべての人の帰依処であるから、宗門人はひとしく宗門と一体としてこれを崇敬護持する。
第三に、この宗門の運営は、何人の専横専断をも許さず、あまねく同朋の公議公論に基づいて行う。
 わが宗門は、この基本精神に立脚し、かつ同朋の総意に基づくこの宗憲に則り、立教開宗の精神と宗門存立の本義を現代に顕現し、宗門が荷負する大いなる使命を果すことを誓う。

 真宗興法議員団 綱領

 真宗大谷派が世に存在する意義は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を真実の行としていただき、「普共諸衆生、往生安楽国」の志願に生きる人々を生み出すことのほかにない。
 宗祖は、民族を超える仏教の伝承を通して、真実の教として仰いだ「大無量寿経」に依り、阿弥陀如来の本願名号を行信する願生浄土の道こそ、真の人間を生み出す普遍の大道であることを開顕し、さらに往還二回向と、教・行・信・証の四法をもって浄土真宗の大綱を表わされた。それは、虚偽の宗教に対する真実教の開顕であり、大乗仏教の至極が樹立されたことを意味する。
 蓮如上人は、宗祖の教えを、「信心をもって本とする」という一語に凝集して、戦国乱世の民衆に伝達した。しかも自らを本願寺御影堂留守職と自覚し、徹底した同朋精神に立って、聖人一流の再興に、その生涯を捧げられた。平易な日常の言葉で語りかける上人の教化は、混迷を極めた乱世にあって、人間として生きる希望と方向を民衆に与えた。こうして真宗の精神が再び輝きをとり戻し、御同朋御同行のサンガが回復された。
 しかし徳川封建体制が確立し、「宗門法度」をはじめ、さまざまな規制のもと、いつしか健全な批判精神は薄れ、やがて真偽の分判さえおぼつかなくなる。つまり自覚道としての真宗の精神は、その輝きを失っていく。
 このような民衆の宗教的体制化と停滞の中で、幕府に代った明治政府は、天皇を絶対君主とする国民国家を目指す上から、国学による国家神道を国民の精神的根拠とし、一方では、富国強兵を国是として、西欧の文明や技術を導入したのであるが、やがてそれは帝国主義的性格を強くしていった。
 こうした時期にあって、清沢満之師は、いち早く近代文明の矛盾と欠陥を予感するとともに、仏教の危機を自覚、真実の自覚道としての仏教復興に起ちあがり、「世界人類の安心を求めんと期する所の源泉」は、まさに真宗大谷派であるとの信念のもと、真宗大学の開設、浩々洞の精神主義運動を通して、真宗の精神に生きる人々の育成に力をそそいだ。しかも清沢満之師は、白川党を組織し、教学中心の宗門確立を願って、宗門の改革に身を挺したのであるが、やがてこの運動は、広く僧侶、門徒の宗政参加への道を開く宗門議会開設の出発点になるのであった。しかし、わが宗門の古い体質は、その後、金子・曽我事件を起し、かつまた軍国主義による厳しい国家統制下とはいえ、宗門自ら戦争に加担していくなど、宗門の本来性を回復するにはまだ多くの時間を必要とした。
 敗戦後、サンガ形成を願う大谷派の教学的伝統の中から、先輩たちは信心の回復運動に起ちあがった。そして宗祖七百回御遠忌を迎えるに当たり、宗門は、『宗門白書』をもって、「弘願真宗の宣布こそ我が宗門のいのちである」と明示するとともに、「封建教学から脱して、真宗教学を世界的視野で展開したのは清沢満之師である」との見解を明らかにした。こうして、顕真実の求道者清沢満之師の精神が、初めて公のものとなった意義は大きい。
 宗門白書の願いは、宗祖の御遠忌を勝縁として、真宗同朋会運動となって具現する。「家の宗教から個の自覚へ」をスローガンに掲げたこの運動は、当初干地に慈雨を注ぐかの如く宗門に広く浸透した。しかし運動の進展に伴い、長い歴史を持つ宗門は幾多の難問を抱えることになる。この難局を乗り切るとともに、真宗同朋会運動の推進を旗印として、わが真宗興法議員団は一九七五(昭和五○)年に結成された。かくしてわが議員団は、全国同朋の至純な願いを背景とし、宗門存立の本義を「同朋社会の顕現」と見定め、「宗本一体」「同朋公識」の新宗憲の制定を成し得た。
 人間至上主義の現代社会は、自然環境を破壊し、あらゆる生命の根源を汚染しつづけ、人間を混迷と閉塞のなかに投げ出している。これはまさに「神は死んだ」という言葉で表現される近代文明の破綻であろう。この悲歎に立って、現在の状況を批判的に克服できるものこそ浄土真宗であり、わが大谷派の教学であると確信する。そしてそこにわが宗門存立の意義がある。
 真宗同朋会運動は、「親鸞聖人-蓮如上人・清沢満之師」と伝承された弘願真宗の願いを体して生まれた信心の運動であり、宗門の根底に流れる共通意志の具現といえよう。私たち真宗興法議員団は、宗門の願いを伝承し、「教団は教学の実践である」という至言をいただき、宗憲の精神に則り、いよいよ真宗同朋会運動の推進に努力したいと思う。ここに私たちは、志を同じくする全ての人々と手をたずさえ、人類のあるべき原理と方向を顕現し得る念仏のサンガを回復し、限りなく開かれた宗門の再生を願って、宗政を荷負していきたいと考える。

 

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